それ自体は悪くないのに、多用されることで意味を失う

スタイリッシュ、シンプル、という言葉の使い方に戸惑いを覚える。特に、この言葉が宣伝文句として用いられる場合が顕著だ。さらに言えば「スタイリッシュな○○」「シンプルでスタイリッシュな○○」などという言い回しに出会うと憤りすら感じる。この人はほんとうに、この品物を売りたいのだろうか、この言葉が働きかけることになる人がどういうタイプの人間かわかっているのだろうか、と思う。
こういう言葉遣いを反省する場合、何かを褒めるときにその言葉を使うかどうかを考えてみると良い。友達の家に行って、形の美しい椅子に出会ったとき、「わー、スタイリッシュな椅子だね!」とは、私なら言わない。その椅子がほんとうに素晴らしいと思い、その椅子に感動したなら、その椅子のどこに、どんなふうに感動したのか、もっと細かく伝えようと努力するだろう。それが親しい友人であるなら尚更そうだ。
紋切り型の表現は、短い文字数の中で特定のイメージを喚起するためには有効だが、それが過ぎると、今度は狙ったイメージをまっすぐに指すのではなく、むしろ「多用されすぎて陳腐化した表現を使う担当者によって売られている」というイメージの方を先に喚起してしまうことになる。いわば逆効果だ。
宣伝文句は斬新でなければならないということはない。ただ、それが、受け手にとってどんな印象を与えることになるのかだけは、常に意識しなければならない。そのコントロールがいかに難しいことであるかを差し引いても、宣伝担当者が自分自身の用いる言葉に無自覚でいて良いと言うことには、ならないからだ。