価値の多様性

価値の多様であること、あるいは、個別の価値の尊重。一方的な提示ではなく、フィードバックによる変化。
一方的、画一的であることの向こう側。
現在でいうと、こちら側。


なぜ多様であるということはよいことなのか。
それぞれの人間でいなさい、と言うことは、人々を納得させるのか。
誰かとの比較ではなく、個別の存在として価値を認められることに、私たちは心地よさを感じるのか。


意味がない、とは思いたくないからだ。自分の人生に意味があったと思いたい。死んですべてを失うとは思いたくない。あるいは、死ぬときに、意味がなかったと思いたくない。


多様、という言い方は、その願いを救う。そのままでいていい、と言うことは、比較からその人を解放する。


自己の基盤とは、自己であることだが、その基盤の確立には、常に比較がつきまとう。自然なことであり、そもそも比較しなければ、位置は決まらない。
だが、比較には感情がつきまとう。感情を自己の基盤と切り離すためには、感情に左右されない要素が必要だ。


個別と多様という言い方は、個人の自己を、他者の視線から救う。他者とは異なる価値、他者とは異なる自己、というもののまっすぐな肯定として、多様という言い方がある。


ではなぜ今、多様か。あるいは、個別的であることなのか。