自由であること

昨日は、魅力と思える事柄を列挙して終わったので、今日はそのうちのひとつについて考えてみます。


デザインの魅力を考えていて、一番最初に思いついたのは自由だということでした。


自由、といっても、何をしてもいい、という自由ではありません。むしろデザインには、ファインアートにないような制約が科されているのが一般的です。この色を使って、この予算内で、こういう雰囲気に、等々。素材や、環境を決められている場合もあります。また、建築や工業品の場合は、技術的な壁もあります。どうも、私の考える自由は、こうした制約があるかないか、ではないようです。


私がデザインに対して感じる自由さ、それは枠組みをいくらでも壊して良い、という無言の認可に対して感じる自由さです。むしろ、制約が科されているからこそ、その枠組みにとらわれまいとして生みだされる自由さがある、ということです。


自分自身のもつ枠組みに気づく作業、と言い換えても良いかもしれません。


何かを作ろうとするとき、私たちは自然と、これまであったものをなぞろうとします。これはこのようにして作られてきた、だからこうしよう。しかし、ここでデザインは行われていません。デザインを行うためには、なぜそのものがそのようにして作られてきたのか、そして現在の形に、その過程がどのように反映されているのか、こうしたことを、逐一反省しなくてはならないからです。


伝統がよくないと言うのではありません。むしろ伝統は、そうした反省の上に成立していると考えることができますから、すぐれてデザインされていると言えます。私が言いたいのはそういうことではなく、無批判に受け入れることが、デザインとは真逆の位置にある行為だと言いたいのです。


あるものを、そのままに受けとらない。あるいは一度受け止めてから、ふたたび手を離して眺めてみる。そのとき、私はその対象に、これまでなかった感情や、形、機能を発見します。それまではそこになかったもの、けれどこれからはありうるもの。デザインに際して行われる試行錯誤には、そのような新たなものの誕生が孕まれています。そしてこれこそ、私がデザインに対して感じる、自由ではないかと思います。


デザインが自由であるとき、同時に自由へと至る枠組みの突破が目指されている。これをしんどいことだと受けとる人もいるかもしれません。しかし、この自由さは、私には人間の行為の自由さでもあるような気がします。人間らしさの具現化。だからこそ私はこれが、デザインの魅力のひとつではないかと考えたのでもありました。


長くなってしまいました。明日はまた別の魅力について考えてみます。